Omochi_S2のブログ

うつ病患者の日常。

⑥人生3社目の会社での出来事

こんにちは。おもちです。

 

今日は、私にとって特別な日なので

昨日に引き続き、体調は微妙ですが

続きを書いていこうと思います。。

 

 

 

それでは、本題へ。

 

 

 

新しい仕事が始まったのは、去年の2月1日。

前職はビジネスカジュアルな服装だったので

久しぶりにスーツに身を包み、胸を膨らませ

人生で3社目の会社での仕事が始まりました。

 

簡単に総務から説明を受けてから

私の教育係となる社員の方も含めて

私の体調の話をお伝えしました。

 

総務の方は落ち着いていて

寄り添ってくれる様な方で

駆け込み寺のように感じ、安心しました。

 

教育係の社員の方、

仮にAさんとしましょう。

Aさんの第一印象は、話を聞くより、

よく喋る方だなぁという感じでした。

 

初日はそのようなオリエンテーションのあと

現場や他の部署にあいさつをして回りました。

最後に営業部に着く頃には定時に近い時間で

まぁ初日だし、こんなもんかなと思いました。

 

問題は、その日の帰り際。

 

私は後輩に駅まで送迎してもらって

通勤をすることになっていたので、

営業部の隣にある後輩のいる部屋で

後輩の帰り支度を待っていました。

 

Aさんは、その日私と行動をしていたので

自分の仕事が後回しになってしまったのか

残業する様子で申し訳ないなと思いながら

隣の部屋にいると、

 

後輩や他の社員の方がいる中で

 

営業じゃなくて他の部署がいいと思うよ。と

 

もともと声は大きい人でしたが

ビックリする発言をされました。

 

帰りの車で私は落ち込み、

まだ仕事してる姿も見たこともないのに

どうしてそんなことを言ったのだろうと

自分のその日の行動や言動を思い返し、

それでも思い当たるものもなく悲しくなり

初日を終えたその日からこわくなりました。

 

やる気満々だったのが気に触ったのか

元気にあいさつして回ったのがうざかったのか

身なりが営業に向いていなかったのか

私には分からなくて、悩んで悩んで。

 

2日目を迎えました。

 

私が今やるべきことを説明されました。

Aさんが見積もりをつくるフォーマット用の

データ入力。各現場の日誌ノート約15冊程。

 

データ入力?

私は営業ではないのか?

営業事務なのか?

まずは通る道なのか?

今日はAさんが忙しくて教えられないから?

 

ハテナは、たくさん浮かんだけど

言われた仕事を黙々とやり続けて

長い長い、2日目が終わりました。

 

3日目も変わらずデータ入力。

初めての休日を迎えました。

 

ちょうど精神科の通院日で素直に話しました。

それでも私は負けない頑張るんだって伝えて、

仕事に備えゆっくり休んで休日を終えました。

 

新しい仕事2週目。中日に体調を崩し欠勤。

 

新しい仕事3週目。変わらない仕事内容。

加わったのはパワハラやセクハラに値する発言。

 

接触れられたことはないけれど、

 

周りに聞こえない声量で言ってきたり

誰もいないところで言ってきたり

 

体調が悪くて、吐いてしまうこともあって

トイレに行く回数が多かったり長かったり

総務へ呼ばれることもあって席を空けると

理由も聞かず言う間も与えず、行動を制限。

 

気持ち悪くなっても、薬飲みたくても我慢。

 

Aさんは父よりも年上の方、

営業のことは教えてくれないのに

 

私情の話彼女とデートに言った話や

薬を飲むと子どもを産めなくなるや

言葉にしたくないような過激な発言

 

ここの営業には向いていないよなど

 

いろいろな角度から私の心を折って、

それでも我慢して我慢して働きました。

 

総務には都度相談したけど、変化なし。

 

 

 

限界が来たのはちょうど2ヶ月経った4月。

1日2日は休日で、1日は精神科の通院日。

 

私は人前では別人のように強がってしまう。

大丈夫、元気。と、見えるように振る舞う。

 

 

 

そして、迎えた休日明けの4月3日。

そう、ちょうど1年前の今日ですね。

 

私は仕事に行けませんでした。

 

昨日まで仕事に備えて早く寝て

お弁当の準備までしていたのに

 

ただ部屋でひとり、ぼーっとどこかを見つめて。

 

何もしないで夕方になりました。

部屋着で髪もとかさずボサボサ、

近くのドラッグストアへ向かい、

鎮痛剤や風邪薬を大量に買って、

 

家に帰って、泣きながら無心で飲み続けました。

 

いつスイッチが入ったのか、

どうなりたかったのか、なにがしたかったのか。

分からないけど、楽になりたかった。辛かった。

 

4月3日は初めて自殺が未遂で終わった日です。

 

2時間程かかる実家から来た家族、

辛くて会わせる顔もなかったけど。

 

母と少し話をして、離されました。

 

その時は気持ちが悪くてフラフラして

何も考えられなかったです。

ただ、関わってくれていた人たちへの

申し訳なさに心が押しつぶされそうに

なりました。

 

 

助けてくれたのは、

嫌な予感を察知した後輩でした。

 

次の日、直ぐに会社に伝えてくれましたが

大事にはならずまずは調査が始まりました。

 

 

(会社の話は今後の更新で詳しく)

 

 

入院生活は過酷なもので、

家族にも彼にも後輩にも会えない。

スマホも使えない。

気持ち悪くて吐き続ける。

気持ち悪くて食べられない。

 

 

自業自得なのに。

助けてくれた人たちには申し訳ないけど

なんで助かってしまったんだろう。と。

一睡もできないまま、泣いていました。

 

 

救急で運ばれたところでは、

1泊2日このような状態で過ごし

精神科の先生により

かかりつけのクリニックの

系列の精神科病院へ転院が決まりました。

 

 

精神科病院って、こわくないですか?

 

 

また、誰にも会えないの?

スマホも使えないの?

隔離されたり、拘束されたりするの?

 

 

ドラマや映画からそんなイメージがあり

私は転院を拒み、

当時28歳ながらも大泣きして拒み続け

看護師さんたちを困らせてしまいました。

 

 

こわかったんです。

 

 

でも、母がこのまま家に帰ることのこわさ

そしてちゃんと治して欲しいという願いを

ドクターから聞いて、転院を承諾しました。

 

次の日には転院先から迎えが来て

迷惑をかけた皆さんに謝罪をして

新しい病院で家族と再会しました。

 

 

 

 

 

精神科病院での様子は、また次回。

 

 

 

おもち