Omochi_S2のブログ

うつ病患者の日常。

⑤傷病手当をもらいながら生きる

こんにちは。おもちです。

 

だいぶ期間が空いてしまいました。

今後の記事にも関わる内容なので、

省略して何があったか説明しますが

体調が悪化して入院していました。

 

今は退院して、家から記事を書いています。

 

 

 

 

では前回の続きから、本題に入ります。

 

 

 

 

タイトル通り、傷病手当という存在を知り

社会保険を任意継続して手当を貰いながら

無職の自宅療養の日々がスタートしました。

 

気持ちは沈み、仕事もしないでお金を貰う。

仕事人間だった私にとって悔しさと悲しさ、

毎日毎日、しんどい気持ちで家にいました。

 

辛かった。

それだけしかほとんど記憶には

詳しいことは残っていませんが

この傷病手当で生活し始めた頃

今まで疎遠だった家族にも話し

沢山の人達に心配をかけました。

 

傷病手当も高額貰えるわけでもなく、

限界があったので宝物の車も手放して

私のメンタルは、落ちる一方でした。

 

そしていつの頃か、

辛い気持ちの逃がし方が

分からなくなってしまって、

自傷行為が始まりました。

 

ドラマや映画でしか、

見たことのなかったリストカットを、

まさか自分がするとは。

 

何の知識もなく、ただ辛い、

どうしたらいいか分からない

気付いたらカミソリを持って

お風呂に座り込み傷をつけて

泣いていました。

 

同棲していた彼は別室にいて、

泣き声に気付き来てみたら血まみれ。

 

きっと驚いたでしょう、

そして引いたでしょう。

 

カミソリは取り上げられましたが

自傷行為は何度か続きました。

 

実家に帰り、傷を見た家族は

驚き、そして怒り、悲しみ、

もうやらないと約束して。と

父と、約束を交わしました。

 

しばらくはその約束を守り、

家族の存在と彼の支えに頼り

生活をしていましたが

 

気持ちには波があり耐えられず

また傷をつけてしまいました。

 

家族には言えませんでした。

 

そんな時、父が大動脈解離で

急に他界してしまいました。

 

最後にした約束も守れなかった。

 

何度も何度も、帰ろうと思って

帰れなかった日々を悔いました。

 

冷たくなった父に泣きつき、

約束を守れなくてごめんなさい。と

家族がそろうその場で大声で泣き叫びました。

 

家族はその場でまたやったのかと知り

さらに、ショックを受けたでしょう。

 

父が突然亡くなったので、しばらく実家へ帰り

私と母と妹2人という残された女たちで必死に

父が安らかに眠れるよう考え動き続けました。

 

悲しみをまぎらわすように。

 

お葬式の準備、今後の手続きなど、

私は長女として母を支えなければと

できる限りのことは行動しました。

 

それから、しばらくして

彼に別れを告げられました。

 

好きという気持ちがなくなってしまっていこと

それは、もうとうの昔に気が付いていました。

 

それでも私は好きで離れられなくて、

かっこ悪いし本当に面倒な女だけど、

働くからまだ一緒にいさせて欲しいと

我儘を言いまだメンタルも不安定な中

後輩のツテで会社に入れてもらいました。

 

他にも転職活動はしましたが、

うつ病であることやブランクがあることで

内定をもらうのが難しく、

それもまた心を

苦しくさせる要因にもなっていましたが、

彼から離れられない自分が強すぎて

必死で辿り着いたのが後輩のツテで入った

その会社でした。

 

決して大きくもないし、

後輩のおじさんが社長を務め

いずれは後輩が継ぐ会社です。

 

事業内容や分野は、

触れたことも考えたこともないものだけど

営業として入社させてもらい、勉強もして

少しずつ、頑張っていこうと思いました。

 

仕事が決まったことにより

彼と別れることは延期のような形になり、

家も更新してもらい仕事も始まりました。

 

 

新しい仕事が始まってからが、

本当の、地獄の始まりでした。

 

 

 

 

それは、また次回。

 

 

 

 

 

おもち